上の子が、某アーティストのバックダンサーを務める機会がありました。
通っているダンス教室にオーディションのお知らせがきまして、
ありがたいことに合格したのです。
1回だけの、ほんの数分の舞台でしたが、
それでも私はとてもうれしくて、スマホで録画した動画を毎日みています。
その本番のとき思ったのですが、
女の子の「キャーーーッ!!」という歓声って、とっても良いものですね。
演じる側としては、自分に向けられたものじゃないと分かっていても、鳥肌が立ったそうですし、
見ている私も、その歓声に包まれて鳥肌が立ちました。
そして、この歓声の中でパフォーマンスをする芸能人の皆さんは、
その専門が歌であれダンスであれお笑いであれ、
こりゃ辞められなくなるだろうなぁと実感しました。
のちのち落ち目になって、昔の栄光にしがみついている芸能人とかよくいますけど、
それはお金のためだけなのではなく、
キラキラしたその一瞬をもう一度味わいたいんだろうなということも何となくわかりました。
そしてそのときもう一つ思ったのは、
世の中って、演じる側と観る側のふたつに分かれてるんだなぁということです。
「キャー!」と言われる側と言う側のふたつです。
もちろん、通常は演じる側の人でも、個々に好きな歌や映画があるので、
演じる側でもあり、観る側でもある、
キャーと言われる側でもあり、言う側でもある、
厳密には真っ二つに分けられないのはわかっているのですが、
それでもやはり、いちど演者になったら、もうこちら側(観る側、きゃーと言う側)とは一線を画すように思います。
そしてそれは、テレビの向こう側とこちら側に分けられるように思うのです。
テレビやネットをみて、時々「それは演じる側(テレビの向こう側)の意見だなぁ」と感じることがあります。
事務所や周囲の売れっ子芸人の「もう世間(テレビのこちら側)も、そろそろ許してあげたら?」という、あの空気。
ちょっとずつテレビに出して、こちら側の反応をみている、あの感じ。
ちょっと話は違いますが、人とのコミュニケーションにおいて、その自我の強さに驚くことがありませんか?
普段は「〇〇ちゃんって、すごーい」とか、
「〇〇ちゃんって、こんなことができるんだ。尊敬する~」
「わぁ、かわいい。私なんて太ってるからさぁ。」
なんて自虐的なことを言っている人が、
あるとき、ふと、ものすごい上から目線でマウントしてきたりするのです。
「なめんなよ!」という、ものすごい意思表示を突然表すというか。
ママさん界でも、自分の子のできない部分を散々言っていたのに、
いざそういう目で見られると、
「は?うちの子のほうが断然すごいし。」
という態度を取ってきたりね。
我々は、自分で自分を落とすのはいいけれど、
他人が自分を落とそうとしたり、ちょっと下に見てきたように感じると、
途端にマウントして牙をむくものなのだと思います。
(だから私は、仲良くなってフランクに話す間柄でも「私ってデブだからさぁ」とか「うちの子は走るの遅いからさぁ」という会話では、「そんなことないよぅ」と答えるようにしています。
「ぎゃはは!そうだね!」なんて気の置けないことを言ったら最後、どんな恐ろしいことが待っているか。)
それまでたくさんのレギュラー番組を持っていた人気タレントが、
不倫をしてLINEが流出してテレビに出なくなってしまった。
色々な芸能人が「もういいじゃない。」と言い、
本人も「不倫で失敗しちゃったから…。」ということを自虐的に売りにしようとしているけれど。
テレビの向こう側の人たちって、分かってないよね。
だいたい我々視聴者が、本当にいつまでも不倫に怒っているとでも思っているのでしょうか。
正直、誰が誰と恋愛してるとか、そんなことはどうだってよいわけで。
そもそもの話、「あのタレントさんが!」と驚きはしたけれど、不倫に怒ってる人なんて最初からいなかったんじゃないかと思います。
「卒論」でしたっけ?ああいうのは、わぁ最低と思いましたけど、
怒ってはいませんよね。
本当の問題はそこじゃない。
視聴者が怒っているのは、
謝罪の会見をしておきながら、裏で
「友達で押し通すつもり!(笑)」
と嘲笑っていた件がLINE流出によって露呈してしまったこと。
これこそが根本的に我々が受け入れられない問題なのだと思います。
「(笑)」に彼女のすべてが詰め込まれてる感じがします。
「視聴者なんてバカなんだから、適当に謝罪会見やっときゃ後は時間が解決してくれるでしょ。」
そう言われているのと一緒なんだって、どうして分からないんでしょうか。
テレビ局や関係者に対しての謝罪なら、直接赴けばいいわけで、
わざわざメディアをつかって会見をしたということは、
テレビや雑誌を通して、テレビのこちら側、我々一般の視聴者に対して
謝罪だか釈明だかをしてると思うんですよね。
(別に、視聴者は謝罪しろなんて頼んでないけど。)
それを、裏で笑っていたというのが露呈しちゃった。
頼んでもないのに自分の都合で会見しといて、なぜか裏で視聴者を笑っているという構図。
そりゃぁ、皆さん気持ちが離れてくでしょうよ。
例えば、タレントや俳優などで、時々尊大な態度や愛想のない感じでテレビに出てる人がいますよね。
その人は、司会者や同業者、テレビ局のプロデューサーなど、
テレビ関係者(向こう側の人)に対してそういう態度をとっているつもりなのかもしれないけれど、
メディアを通しているということは、
「テレビのこちら側(観る側)に向けての態度や発言である」
ということを分かっていないんだろうなぁと思っています。
つまりそういう態度は、視聴者に喧嘩を売っているのと同じなわけです。
「別に」の女優さんが嫌われたのは、司会者に向けての態度が悪かったからではなく、
観る側が、自分に対して喧嘩を売られていると感じたからだと思います。
「別に」と言われたのは、司会者じゃない。私なのです。
は?何、調子こいちゃってんの?
どんなに良い演技をしようと素敵な笑顔だろうと、
絶対、お前の出てる映画なんて観ねぇ。
そうやって嫌われてバッシングされたんじゃないでしょうか。
後に復帰できたのは、才能もあるからでしょうが、
知ってか知らずか、正面から喧嘩をふっかけたのが良かったんだと思います。
性悪な部分がLINEで判明してたら、=裏で私の悪口言ってる ということですから、
もっとこじれていたのかもしれません。
自分で自分を落とすのは良い。
いくらでもテレビの向こう側の人にキャーキャー言える。
でもこちら側、観る側を見下す態度をとったが最後、
我々は「なめんなよ!」と牙をむいてマウント返しをする。
これは、芸能人に限った話でもなければ、
SNSの時代だからでもない。
日本では通常のコミュニティにおいて、
自分で自分を落とすのはいいけど、他人はダメ
というメンタリティがあるからなんだと思います。
自分を卑下する文化って、日本独特なんですかね?
それはさておき、
昔、はなまるマーケットを観てたおばさんから言わせてもらうと、
まだ学生さんで明るくて、
海保さんが辞めるとき泣いちゃって、
芸能活動を大事にしたいから男の人とは付き合わない、
そんな宣言をしていたあなたが懐かしいです。