いやぁ、忙しかった、5月。(ついでに言うと、6月の半ばまで忙しかったデス…)
「PTA、そんなに大変じゃないよ。働いてる人もやってるし。」という感想はよく聞きますが、大変か大変じゃないかは、月によってかなり隔たりがあるようです。
うちの学校の5月は、おそらく非常に大変な月でありまして、中旬にあるPTA総会と下旬にある運動会の準備で大わらわな日々を過ごすことになります。
特にPTA三役の皆さんは、この期間は毎日朝から夕方まで小学校に通い詰めていたのではないでしょうか。
さて、広報の場合は4月の下旬から活動がスタートして、6月下旬に広報誌を各ご家庭に配布することが第1のゴールですので、やはり5月はギュッと濃縮された忙しい日々を送ることになります。
それに加えて、正直よく分からないまま手探りでやっているので、えらく時間がかかるんですよね。
普段は組織に属して働いている人も何人かいますので、半休を利用したり、夜中にパソコンに向かったりと、色々と工夫し時間を割いてくださっているようです。
GW明け、副校長先生がチェックしてくださったアンケートの原案を見直すことから始めます。
おお、何問か×が付いてる。
「出身地」とか「子供たちに一言」とかがダメでした。
でもおすすめの映画とか、マイブームとかは大丈夫でしたので、それを元にアンケートを修正しました。
原案はA4用紙に設問を詰め込みすぎたせいか、「字が小さい」と書いてありましたので、読みやすく大きな文字に直しました。
そして、今後の予定をもう一度話し合い、書類を先生へ提出してこの日は終了しました。
そして約1週間後、戻ってきたアンケートを元に、原稿作成に着手しました。
皆さん初めてさわるソフト、その名も「パーソナル編集長」。
メンバーの中でお家で時間を見つけて色々と作業してくださった人がいらしたので、みんなでレクチャーを受けました。
なんとなくの流れで、今回は6人のうち3人が原稿を作成し、残りの3人が先生方の対応や写真撮影、印刷会社の手配等を担当することになりました。
私はパソコン部隊になりまして、その次の日は午後からのPTA総会出席に向けて、午前は3人で学校にて原稿を作成し(ソフトの使い方がまだよく分からないので、3人寄れば文殊の知恵ということで)、午後は6人で総会後に先生方の写真撮影を行いました。
この日は朝パンを買って行き、パソコン隊の3人でむしゃむしゃ食べながら作業しました。
それにしてもPTA総会は、三役の皆さんの気合いの入りかたに驚きました。
だってだって、正装してるから!
すごいガッツリ、盛ってるから!
そっか、PTA総会って役員の皆さんにとっての晴れ舞台なんだね。
普段は何も考えたことはなかったのですが、初めて知ったPTAの一面でした。
さて我々パソコン隊は家で原稿を仕上げておき、その数日後に小学校に集まり3人で各々作成したデータを合わせました。
こういう印刷物は、B3の大きさに、A4サイズのデータを組み合わせていきます。
1枚の用紙(B3)の、左が裏表紙にあたる最後のページ(A4)、右がトップページ(A4)という組み合わせです。
我々は8ページ作成しました。
つまり、
- 8ページと1ページ
- 2ページと7ページ
- 6ページと3ページ
- 4ページと5ページ
という組み合わせで、B3用紙4部のファイルになるようにするわけです。
中綴じなので、4の倍数のページ数です。
さて、作成したものをプリントアウトして、ホチキスで止めたものを担当の先生に提出します。
次回は6月に集まり、チェックして戻ってきたものに対し修正作業を行う予定です。
さてこの月は、とある習い事で先生含め皆さんに「LINE登録しちゃいなよ!」と背中を押され、同時に設定やテストなど色々やってもらい(笑)、無事にデビューを果たしたのでした。
それにしても、LINEは便利でした。
もしかたくなに拒否していたら、だいぶ広報の皆さんに迷惑をかけていたなと思います。
連絡事項もさることながら、ある程度仕上がった原稿をカメラで撮影し、ピロッとアップすれば全員が一斉にチェックすることができる。
わざわざ一堂に会さなくても、もうちょっと色合いを濃くしたほうが、とか、写真を大きく、とか、家にいながらすぐにアドバイスがもらえて本当に役立つツールでした。
しかし持論ですが、おばさん世代がこういったツールを普通に使いだしたら、そこからは廃れていくか、テレビや電話のように日常の一部になるかのどちらかだよなぁと思っています。
LINEはどうなんでしょう。5年後も、今と変わらず皆さん使っているのかしら。
ポケベルのように、サーッと波が引くように消えていくのかな。
数年前の妖怪ウォッチの強い浸透力も肌で感じましたが、LINEも私のようにかたくなに拒否していた同年代の女性が最近になってぞろぞろと使い始めるのを間近で見て、時代の流れのようなものを感じた5月なのでありました。