今朝のことです。
6時過ぎに私が起きようとすると、小学生の上の子がキーッとした感じで、まだ一緒に寝ようと言います。
私が朝食の準備をしなくちゃならないから、まだ眠いなら寝てていいよと言ったら、それはもうむくれて、ドスドスとリビングに降りていきます。
小声で「バカ」とも言っていた気がします。
私は怒り、朝からそんなふうに気分を悪くするような態度をとるんじゃない、眠いなら寝ていればいいし、なにより母は朝食の準備があるのだから一緒に寝ていられないでしょと言うと、「あぁ、そうですか」と小ばかにしたように言うので腹が立って仕方がありませんでした。
騒ぎを聞きつけた夫も、そんな態度はよくない、眠いなら寝室で寝てなさいというのですが、無言を貫き通します。
例えばこれが、「もうちょっと、一緒に寝て。」と普通にお願いされたなら、じゃぁあと10分くらい一緒にいようか、10分過ぎたら私は下に行くよと穏やかに対応できるのですが、最初からまるで殴られたかのような、いきり立った金切り声をあげるので、こちらもたまったものではありません。
情緒不安定もいいところです。
しかしそんな子も、30分くらいすると落ち着いて普通に準備しだし、朝食もとり、明るく犬と遊んだり、「じゃぁ行ってきます!」と元気に学校に行くようになります。
あの起き抜けの不機嫌さ、というかヒステリーはどうにかならないものか。
毎回、私の脳みそに金切り声がキーンと響いて、考えると憂鬱になります。
朝は、まだ眠い、それはすごく分かります。
私自身が起きられない子供だったからです。
だからもし自分の子供が起きられないようだったら、ほら起きなさいよ!と怒鳴るのではなく、朝だよ~、起きて~(^^)と何度でも優しく起こしてあげよう、無理だったら抱っこしてリビングに連れていけば、そのうち周りの気配で自然に目が覚めると、自分の経験から決めていました。
ところが上の子は、眠くて起きられないとグズるのではなくて、お母さんが自分と一緒に寝てくれない、朝から捨てられた!!とヒステリーを起こすのです。
私はあなたの召使じゃないし、朝の準備をしなければならないことも分かるでしょう?と言っても、むくれたままです。
そう、この子はいつも、私の想像の斜め上を行く行動や言動をとります。
例えば、私は子供が生まれる前から、自分の子の「なんで?どうして?」は大事にしようと決めていました。
「どうしてお空は青いの?」とか「なんでお水は冷たいの?」とかですね。
自分ではすぐに分からなくても、色々と調べて、なんとか答えを伝えようと思っていたのです。
上の子が幼稚園に行っていたころでしょうか。
ある日縄跳びをしました。
割と上手に跳べていたので、上手だね!すごいね!と何度も褒めていました。
上の子はうれしかったのか、家に帰ってから何度も「跳べたね~」「すごいでしょ?」と反芻しています。
私もそのたびに、「上手だったね~」「すごいすごい!」と返事をしていました。
すると突然、「○○(←自分の名前)なわとび上手だったよね~。・・・なんで?」と質問されたのです。
・・・・・え、そこ?????!!!!!疑問、そこ???!!!
私の想像と違うところから、いきなりのトス!がきたもので、つい「え、、、な、なんでかなぁ…。○○が体を動かすのが上手だからかなぁ…(しどろもどろ)」と、アタックをスカッと打ち損じてしまいました。
まぁ今の私が忘れているだけで、それ以前にも、またその他にもたくさんの「なんで?」があったとは思うのですが、なぜかこの1件がすごく心に残っているんですよね。
こう、育児書どおりに行かないわが子と言いますか、ペネロペのママっぽくさせてくれない感じといいますか。
「こういう育児をしよう」という私の理想は、ことごとく撃ち落とされるわけです。
昔の教育ママは自分の希望の大学を子供に押し付ける、という構図がありましたけれど、もしかすると私は現代版の教育ママなんですかね。
「のびのび子育て」を押し付ける感じと言いますか、この情報があふれてる社会では、一見素晴らしい育児方針が、実は目の前の子供を見据えていないこともあるのかな、と自分を振り返って考えたりします。
とりあえず今の私がやること。
・朝の上の子の態度について、本人と話し合う。
・キーッとなったら、放っておき、引きずられない。(こちらもムキーッとならない)
・でも叱るところは、はっきり叱る。
・私の理想を押し付けない。
・予想と違う反応をされたからといって、ムカッとしない。
・そういうものかと、まるっと受け入れる。
・「行ってらっしゃい!」と、明るく元気に送り出す。