エレファントカシマシの『悲しみの果て』という曲が大好きです。
私がこの曲を初めて聴いたのは2011年の春でした。
東日本大震災の後、たくさんのミュージシャンがテレビで音楽を演奏していたのですが、
そのときエレファントカシマシが、この『悲しみの果て』を歌ったのです。
ちょうどこの頃、私の夫に病が発見されました。
手術は4か月後。
早期発見と言われていましたが、それでも、どうなってしまうんだろう。
4か月も病巣を育てて、大丈夫なの?
来年の今頃、夫は生きていてくれているのかしら。
ただでさえ、放射能の恐怖でいっぱいだったのに、
4歳と0歳児をかかえた私は、途方に暮れていました。
よく、「人間いつ死ぬかわからないのだから、今日を精一杯生きよう」って言葉を聞きますが、
この当時、私はそういう精神論に吐き気を覚えていました。
「人間いつ死ぬかわからない」
そんなことを言えるのは、明日も安全で、何もなければ生きてるってことが分かってるからじゃない?
あのとき、
頻繁に緊急地震速報が鳴り響く中、
「今日の風向きはどうなんだろう」と心配しながら天気予報を見て、
小さな子どもを公園で遊ばせたいけれど、
そんなことをして後で後悔することになったらどうしようと悶々としていた中、
「人間いつ死ぬかわからない」
そんな恐ろしいこと、どうして他人事みたいに口にできるんだろうと怒りを覚えていました。
そんなとき、テレビで『悲しみの果て』を聴いたのです。
良い曲だな、でもどうせ、悲しみの後には幸せや楽しいことがたくさん待ってるって言いたいんでしょ?
それまでガンバレって、そう言いたいんだよね。
トンネルの向こうは晴れてるよ、って、そういう歌かな。
そんなふうに思いながら聴いていた私は、いちばん最後の歌詞で衝撃を受けました。
ああ、そうか。
幸せって、自主的なものなんだ。
素晴らしい日々は、自分から取りにいかなきゃいけないんだ。
自分で作り出していかないといけないんだ。
奈落の底に落ちたような気持ちで暮らしていた私にとって、
この曲を聴いたとき、目が覚めたような、
体に稲妻が走ったような、そんな不思議な力強い感覚を覚えたのです。
誰かに幸せにしてもらうんじゃない。
淡々と、誠実に、仕事をする。
辛い時もいつもと変わらず身なりを整える。
食事をきちんととり、食器を洗い、掃除機をかけ、洗濯をする。
人に当たらず、自分なりの気晴らしをする。
夜は寝て、朝は起きる。
『悲しみの果て』は、あの時の私の支えになった曲でした。
やけにならず、地道に日々を過ごすことができたのは、この曲のおかげでした。
手術の翌年の夏、子どもたちと元気にセミを捕っている夫の後ろ姿を見て、
思わず涙がこぼれました。
時々、テレビでエレファントカシマシが歌っているのを見ると、
あの頃の感情が強く思い出され、そして今の日々に感謝するのでした。