義母を見て思う。面倒を手放したら、自由はなくなる。

私の義母は、一人暮らしをしています。

毎日1時間半から2時間ほどヘルパーさんが入ってくれ、掃除洗濯食事の用意までしてくれます。

そして週に1回は看護師さんが、月に2回は内科の先生と歯科の先生が来てくれます。

天気の良い日は、ヘルパーさんの付添のもと、買い物に行きます。

1人では、絶対に外出しません。

銀行も、自分1人で行くことはしません。

何かの手続きや問い合わせを含め、

義母の生活は、すべて周囲の人がまかなってくれているのです。

「私はもう、分からないから…。」

それが義母の口癖です。

 

もちろん、自分でも色々と注意をして暮らしています。

1人で外出しないのは、例えば段差で転んで骨折でもしたら大変だから。

銀行に行かないのは、老人を狙って投資信託の話でも持ちかけられたら大変だから。

 

自分から何かをしなければ、余計な事件が起こることもない。

人に迷惑をかけることもないだろう。

 

きっとそう考えていると思います。

 

でも、それってどうなんだろう。

 

義母を見ていて、いつも思います。

面倒なこと、余計なしがらみ、それすなわち生活。

やろうと思えばできるのに、そこを他人に託し、

私にはもう分からないと考えることを止めた時点で、

自分の自由意志がなくなるのではないかと。

 

義母は「モノを捨てる」という行為が大嫌いで、数年前までゴミ屋敷で暮らしていました。

(生ごみはきちんと捨てていたのですが、紙やら品物やら賞味期限の切れた食品やらで、

とにかくモノがいっぱい)

息子(夫)や周囲の人がいくら片づけよう、手伝うからと言っても、

決して手をつけてくれるな、大事なものばかりだから、

と頑固に言い張っていました。

しかしある時、ヘルパーさんが、半ば強引に片づけをすすめてしまいました。

 

周囲の人は言います。

ほら、やっぱりキレイになったじゃない!

以前の状態は、火事が心配だったのよ。

古い配線から出火したらどうするの。

それにモノがないって、すっきりしてすがすがしいわよね。

これでお義母さんも、少しは心が軽くなったんじゃないかしら。

 

しかし、義母の顔は冴えません。

 

余計なことしてくれて…。

 

そういう義母の心の声が聞こえてきそうです。

 

きっと、義母はモノの中に埋もれて暮らすのが好きなんだと思います。

「片づけられない女」というのとはちょっと違って、

「片づけたくない」人なんじゃないかと思っています。

そして、自分が今持っているものに、本当はどれだけの価値があるのか、

とか、

後に残る子どもにどんな片づけの苦労が待っているのか、

とか、

そういった部分は考えたくない。

思考停止状態になっているのです。

 

そして、たとえそういった疑問を投げかけたとしても、

 

えー、よくわかんない。

歴史ある、価値があるものが、うちにはいっぱいあると思うわ。

(←ないです。50年前くらいに購入した未開封の下着とか、

アメリカで買ったプラスチックのアクセサリーなどです。)

あなたたちには、迷惑かけないわよ?

いまは散らかってるように見えるかもしれないけれど、

きっと誰かがいつかきっと、なんとかうまい具合にしてくれるんじゃないかしら。

 

と考えているのです。

 

でもそうやって、様々な面倒に対して考えることを止めてしまったら、

周りの人が良かれと思って手を出してきてしまうのです。

義母は汚部屋で暮らしたいのに、それをする自由はないのです。

 

もしも義母が自立して暮らしていたら、

例えば炊事だけ家事代行に頼むとかして暮らしていたら、

きっと汚部屋で住もうがどうしようが、

誰も無理やり、ずけずけと義母の領域に、土足で入り込まなかったと思うのです。

 

しかし、“できるのに“、面倒なことを自分から手放してしまった瞬間に、

自由意志を持つことを許されなくなってしまったのです。

もちろん誰も、義母を傷つけようとしてやっていることではなく、

義母が生活しやすいようにと、色々と考え工夫してやってくださっていることばかりなのですが、

難しいことに、義母を含め我々は、何十年にもわたる自分のやり方とか生き方が染みついてしまった大人なので、

いまさら方向性を変えろと言われても戸惑うばかりなわけです。

 

義母はガスを使いたいと言います。

しかし、周囲の人は、危ないから電気にしましょうとすすめます。

調理中に大きな地震があったら。

調理中に服に火が燃え移ったら。

電気のほうが安全ですからと説得します。

そして、結局のところもうあなた、料理はしないでしょう?

ヘルパーさんが全部準備してるんだから。

そう言われ、ガス調理器具は撤去され、電気器具にされてしまいました。

 

私は望んでないのに…。

 

ここでもやはり、義母の声が聞こえてきます。

 

義母は、玄関のチェーンをかけたいのです。

でも、もし、家の中で倒れてしまったら、

チェーンがかかっていると救助の人が中にスムーズに入れないでしょう?

救出に時間がかかってしまったら、それだけ後が大変ですから、と説得されます。

 

義母は、靴下の上にビニール袋を履きたいのです。

家の中はほこりだらけだから、靴下で歩きたくないそうなのです。

でもすべって危ないから、本当にやめてくださいと全員に言われてしまう。

私は気を付けて歩いてるから、転ばないわよ、と懸命に訴えても、

誰もそれを聞き入れてくれない。

良いアイディアだったのに…。

早くみんな帰らないかしら。そしたら好きなだけビニールが履けるのに。

 

またしても声が聞こえてきます。

 

義母は、買い物に行ったらあれこれ買いたいのです。

お菓子をたくさん買っておけば、誰かが来たときにあげられる。

ちょっとくらい賞味期限が切れたって、腐ってなければ大丈夫。

だいたいお菓子って日持ちするでしょう?

そうそう、ボールペンは必要よね。

ご祝儀袋だって、買っておかなくちゃ。

 

でも商品を選ぶたびに、家にまだまだたくさんありますよ!

ボールペンなんて、もう30本くらいあります!

ご祝儀袋なんて10セットはありますよ。だいたい、いつ使うんです?

今あるものを消費しましょう!

お菓子だって、賞味期限がせまってくるんですから、

お家にあるものを食べましょうね。

 

そう説得されて、買いたいのに買わせてもらえない。

知恵を絞って、レジで順番が来るときまでそっと商品を隠し持ち、

支払い間際にポイッとかごに入れて買おうとする。

なのに、「そういうことは止めてください!」と怒られ、返品されてしまう。

 

私のお金なのに…。

なんで好きに買い物ができないのかしら。

 

毎日、そんな思いの中、暮らしているんじゃないのかなぁと思っています。

 

散らかっている部屋より、片づいた部屋。

ガスより電気。

何かあったときのために、救助隊の皆さんが入りやすいような工夫。

転ばないように、滑るものは履かない。

無駄な買い物はしない。

 

これらすべて、正しいのです。

誰も、無理やり間違ったことを強制しているわけではありません。

でもさ。

自分の好きに暮らしたいよね。

 

しかしながら我々は、誰かに面倒を肩代わりしてもらったら。

そこから「正しく」生きなくちゃいけないのです。

そして、その誰かの言う事に素直に従う事、

それが快適に介護してもらうコツなんだと思います。

 

 

面倒なこと、人との関わり合いの中で嫌な思いをすること。

そういったことから、なるべく逃げないほうがいいんだなぁと、

義母を見ていると強く強く思います。

自分の思い通りに生活したいのなら、できるうちは、自分で引き受ける。

できなくなったら、潔く誰かに従う。

 

これから先に、生きていれば必ずやってくる「老い」の暮らしに対して、

義母から色々と学んでいるところなのでありました。

投稿者: うずピータン

40代ってもっと大人だと思っていた。 いまだに色々あがいたり挑戦したりしています。 ブログ始めて3年たちまして、ただいま48歳でございます。