およそ、現実的ではない出来事。

先月、父が亡くなりました。

2週間ほど入院していたのですが、

意識がなくなる直前まで、普通に看護師さんとお話ししていたんですって。

看護師さんがちょっと用事を済ますために5分ほど離れて、

戻ってみたらもう昏睡状態だったそうです。

母が、「誰にもサヨナラ言わずに行っちゃった。パパらしいよね。」と言っていたのですが、

本当にそうだなぁと思いました。

 

父はちょっと変わった人だったんです。

自分の家族より、自分の兄の家族を大事にする。

自分の家族と過ごすより、男友達とつるむほうが好き。

結局は利用されているだけなのに、大事な友人だからと特定の男友達に尽くす。

そんな大事な「友人」は、近所に住んでいるのに一度も父のお見舞いに来たことがなく(父は相手が入院すれば、せっせとお見舞いに行っていた)、

父が亡くなったと聞いても、線香をあげに来るでもなく、電話でお悔やみを言うでもなく。

父は今どう思ってるのかな。

それでも、その人が大好きなのかな。

まぁ、父がいいなら、それでいいんですけどね。

 

父は自分の家族にはたぶんそんなに興味がなくて、

いつもぼんやりと、何か靄がかかったような対応でした。

だから家族旅行なんてちっとも楽しくなくて、

いやむしろ恥ずかしい思いをすることが多くって、

私は大人になるまで旅行って大嫌いでしたし、

父ともあまり顔を合わさないように過ごしていました。

お酒にのまれる人で、普段は無口でおとなしいのに、

お酒を流し込むように飲んだ後は、

大声でつまらない冗談を言ったり、店員さんにからんだり、

本当に恥ずかしかった。

私の結婚式もそんな状態で、義母に、

「お父様は、ちょっと頭がおかしいのかしら?」

と言われてとても悲しい思いをしました。

 

そんな父でしたが、私に結婚や孫を催促したことは一度もありませんでした。

あまり家族に関心がなかっただけかもしれませんが、

私はそれがとてもありがたかったです。

そして、あんなに大好きなお酒を、孫の前では一滴ものみませんでした。

だから私の子供は、おじいちゃんのことが大好きでした。

優しくて、ちょっと変わったおじいちゃん。

遠く離れて暮らしていたため、たまにしか会えないけれど、

電話でもおじいちゃんとお話することが大好きで、

私は子供に、優しいおじいちゃんの思い出をあげることができて、本当に良かったです。

 

まぁ、そんなこんなで、わたしはきっと、父が亡くなっても泣かないだろうなとずっと思っていました。

 

ある火曜日の夜、そろそろ寝る準備でもしようかと思っていたところ、

義姉から電話がありました。

「お父さんが危篤だって。」

骨折で入院していることは知っていました。

父は元々の体は頑丈で、学生時代はラグビーの選手だったのですが、

流しこむようにのむ、大量のアルコール摂取の影響で、あちこちに病を発症していました。

何度入院しようが、お酒を止められようが、ぐびぐびと飲んでいたようです。

でもどんなに入院しようと、必ず退院していたのです。

 

わしは90歳代まで生きるから、安心しろ。

 

酔っ払いながら、そう言ってたじゃん。

90代は、まだまだ先だよ。

いきなり危篤とか、やめてよ。

 

翌日の子供たちの準備とかあれこれを夫にたくし、

すぐに病院に向かうことにしました。

 

駅に向かう車の中で、母から電話が。

 

「お父さん、ダメだった。」

 

それからのことは、まるで夢の中にいるような、何かウソのような、

不思議な感覚でした。

 

そして心に浮かぶのは、小さなころの優しい記憶ばかりでした。

 

父のことが大好きだったころ、

幼い私は、どうして毎朝お父さん出かけちゃうのかな?

両手でぎゅーってパパのおなかのあたりを抱きしめとけば、

ずっと一緒にいてくれるんじゃない?

そう思ってぎゅーってしながら眠ったのに、翌朝はやっぱり布団が空っぽで、

うーん、この作戦は失敗だったかと思ったこと。

 

夏休みになると、故郷の広いプールに連れて行ってくれて、

私を背中に乗せて、平泳ぎをしてくれたこと。

私は亀の子のように父の広い背中にしがみつき、

その影響で私は水泳が大好きになったこと。

 

父方の祖父母の家の二階で寝入ってしまい、

父が一階の寝室までお姫様だっこで連れて行ってくれたこと。

階段の途中でふと目が覚めて、

父の腕の中から見るこの光景を、いつまでも覚えているだろうなと思ったこと。

 

そんな幼いころの思い出が次から次に頭に浮かび、

病院に向かう電車の中で、涙が止まりませんでした。

 

私は、お父さんが大好きだった。

 

ただ生きていてくれるだけで、それでよかった。

 

色々あったけど、別れるのは辛いなぁ。

 

我が家は、ほぼ一年前にトイ・プードルのトイちゃん(仮名)を亡くしていて、

最近の意識はいつもその命日にあったものですから、

これで2年連続してお別れを経験してしまったと、とても悲しく思いました。

 

トイちゃんが、父を待っててくれたかな。

不安に思ってる父と、いま一緒にいてあげてるんじゃないかしら。

きっと、「おじいちゃん!」ってすごくなついてるんだろうなぁ。

 

そう思って、自分を慰めていました。

 

でもそれは、私の想像だから。

人の想像なんて、いかようにも、好きなように設定ができるから。

 

しかし、その後49日を行うために、再び帰省したときのことです。

実家のテーブルの下に、錠剤が一粒、落ちていました。

母に聞いても、うちでは誰もこういう薬は飲んでないし、

掃除機をかけたばかりだから、これ、うずピータンちゃんのじゃない?とのこと。

そしてそれは、たしかに、私には見覚えのある錠剤で、

以前トイちゃんが呑んでいた栄養剤にそっくりだったのです。

今の犬は服用していませんから、本来なら私の荷物にまぎれこむはずのない物なのですが、

私はその錠剤を見たときに、

 

そうだよ、想像じゃないよ、私おじいちゃんと一緒にいるよ。

 

ってトイちゃんに言われているような気がしてなりませんでした。

 

人は亡くなると、7日ごとに閻魔さまの裁きを受け、

それをひとつずつ乗り越え、

49日目にやっと最後の関門において、

極楽浄土に行かれるかどうかの判決がくだされるそうです。

 

父は人懐っこいトイちゃんと一緒に、閻魔さまのお話を聞いたのかな、

そして一緒に天国に行ったのかなと、いま想像しているのでした。

投稿者: うずピータン

40代ってもっと大人だと思っていた。 いまだに色々あがいたり挑戦したりしています。 ブログ始めて3年たちまして、ただいま48歳でございます。